2010年6月12日土曜日

琉球処分

明治五年(1872年)日本は琉球王国を併合して「琉球藩」とし、その後、廃藩置県(明治十二年)に伴って「沖縄県」となし、国王を侯爵に任命して内地に移送しました。この一連の措置を「琉球処分」といいます。つまり琉球王国は日本によって侵略され、消滅させられたのです▼それから六六年経って、昭和二十年(1945年)アメリカ軍が上陸し、激しい陸上戦の結果、10万余の民間人が戦死しました。ひめゆり隊の悲劇はよく知られています。琉球民族は強制的に日本に併合され、日本の戦争に巻き込まれてその犠牲となったのでした。その後六五年も経つというのに、未だに基地に悩まされています。どうしてこんなにも日本民族に苦しめられ続けなければならないのでしょう▼昭和天皇は当時の吉田内閣の頭越しに、マッカーサーやリッジウェーと直接交渉し、沖縄に米軍の恒久基地を設けるよう要請したといいます(豊下楢彦「天皇・マ会見」)。この昭和天皇の行為を「第二次琉球処分」と呼ぶ人もいます。つまり、明治天皇に続いて昭和天皇も琉球を日本国家の都合のいいように「処分」したのです▼鳩山は久しぶりに(いや日本の総理としてはじめて)琉球民族に希望をもたらすような発言をしました。「できれば国外、最低でも県外」のあれです。しかし結果は、琉球民族にとって「絶望」を意味するものでした。「裏切られた」「差別だ」という声がメディアに流れました▼私にはこのシマツは「第三次琉球処分」ではないかと映ります。何の責任も無い琉球民族が第二次世界大戦で日本のギセイとなり、あたかもイケニエのように扱われている事実を思うとき、この民族の運命の悲しさに泪がとまりません。何とかならないものか(S)