2010年4月27日火曜日

おいらの畑と八ヶ岳キッチン 原村 小林桂子

                
地球を耕さない不耕起農法
 原村に越して来て14回目の春になる。東京にいた時に、突然、夫が、「CO2を抑制して環境にやさしい仕事(職業)は、林業と農業しかない。俺は農業をやる。」と言いだし・・・。私は、「なるほど、どんな職業でもCO2を排出しているんだ。」と、納得し、彼の生まれ故郷にやってきた。
 引っ越してきてわかったことだが、実際の慣行農業は、エネルギー投入型で、環境にやさしいともいいがたい。
 そして、まもなく「不耕起農法」というものを知った。「地球を耕す」は、いい言葉だが、耕さないことが、いかに自然であるかを実感している。ただ、大変な上に収量が少ないので、実行できる人はあまりいないと思うが・・・。
 また、畑の草と虫は、敵そのものという観念をお持ちの方は、とんでもないと思うだろう。草も取らないで、怠けているようだが、ナンノナンノ、不耕起の方が、余程手間がかかる。トラクターで耕してあれば、種まきも、苗の定植も、どんどんとできる。だが、不耕起の場合は、まず草を刈り、苗を植える場所の草根を削ってから、1本ずつ植えるので、とても時間がかかる。堆肥は鋤き込めないので、ヤギ糞堆肥を回りに敷く。大変な労力で、初めは楽しく手伝っていた私も、最近は、夫に任せっぱなしだ。私は、夫の両親がやっていたテッセンの切花栽培の方が向いているようだ。
 皆さんのご参考になるかどうか、わからないが、これからときどき、この頁で、夫の畑の様子と簡単にできる野菜料理を紹介したいと思う。
まいん農園
 今年の春はとにかく寒い。夫は、秋に集めた落ち葉を敷きつめた「踏み込み温床」で野菜の育苗をしているが、生育がかなり遅れている。これからどうなるか心配だが、今のところ、夫は、畑にヤギ糞堆肥を運んだり、小麦やニンニクにバイオガス液肥をやったり、花豆用の杭を立てたり、毎日、大汗をかいている。

八ヶ岳キッチン
 今回、紹介するサラダは、これから出回るおいしいレタスが主役。ドレッシングを作る手間もなく、ボール1個で簡単に出来る。残ったら、タッパーで冷蔵庫に入れておけば、翌日も味がしみて、またおいしいので、是非お試しを。

レタスとキュウリの和風サラダ
【材料】(4皿分)
レタス1個  キュウリ1~2本  タマネギ1/4個  ニンジン3cm (A)[しょう油大さじ2  食用油大さじ2  カツオ節1/2カップ]
【作り方】
① レタスはザク切りにする。
② キュウリは縦半分に切って斜めの薄切りにする。
③ タマネギは薄切りにし、ニンジンは線切りにする。
④ 大きなボール(鍋でも)に切った野菜を入れ、(A)の調味料を順に加えて混ぜ合わせる。

2010年4月23日金曜日

長野県諏訪建設事務所長 様

2010(平成22)年4月23日
諏訪建設事務所 所長 伊藤直喜様     環境会議・諏訪 会長 塩原俊

① 多自然川づくりについて

国土交通省河川局は平成18年10月13日「多自然川づくり基本方針」を策定し、「多自然川づくり」をすべての川づくりの基本とする、と発表しました。ところが、長野県においては、この方針を全く無視して、依然としてコンクリートの川づくりに専念しているように見受けられます(例:十四瀬川)。どうしてでしょうか。もし「いやそんなことはない」といわれるのなら、実例をご紹介ください。

わたしたちはこの現状を憂え、次のように申し入れを行いたいと思います。

・ 十四瀬川、砥川、新川のように新たに整備の必要となった河川については、必ず「多自然川づくり」の工法にて工事を実施していただきたい。
・ 角間川、承知川のように、すでにコンクリートで覆われた河川については、可及的速やかに「多自然川づくり」に転換していただきたい。
・ あらたに、砂防事業の必要性が発生した場合は、「多自然川づくり」の理念に則った工法を採用していただきたい(大和砂防ダムのようなコンクリート構造物は容認できません、またこの場所には活断層が走っています)。
・ 諏訪湖をはじめ各河川に昆虫や魚が戻ってくるような施策を至急実施していただきたい。(ウナギ、メダカ、ドジョウ、タニシなど身近な水生生物、ホタル、トンボなどの昆虫も激減しました。この現状をどのようにお考えでしょうか、お聞かせください)
・ 私たちは、諏訪圏域を「多自然川づくり」のモデルケースに指定し、河川を「緑のトンネル」にするよう、提案したいと思います。鳩山総理が「コンクリートから人へ」のスローガンを掲げている現在、地球温暖化防止と生物多様性に貢献する、「緑のトンネル」こそ21世紀の目標とするに相応しい施策と考えます。

② 諏訪湖治水計画について

2,006年7月の諏訪湖氾濫の原因は、計画高水位(基準水位+2.2m)が居住地レベルより、70cm~100cmほど高いことにあることは明らかです。釜口水門操作規則に拠れば、洪水が発生した際、わざわざ人為的に、諏訪湖水位を計画高水位まで上昇させるよう定められています。
これを生活者レベルに抑える方法として、事前放流(予備放流)の実施について、わたしたちは以前より再三にわたって検討していただくよう提案してきましたが、何の音沙汰も無く時間が経過しています。
諏訪湖治水計画の再検討について、検討委員会を設置するなど、可及的速やかに何らかの対策を講じられますことを、お願いいたします。

③  釜口水門下部放流について

再三お願いしてまいりましたが、諏訪湖の浮遊微粒子(もしくは汚泥)対策の一環として、釜口水門の下部放流について、早期試験放流のご検討をお願いいたします。

④  諏訪湖流域下水道について

県は只今、行政庁舎の耐震強化工事を実施中のようですが、諏訪湖流域下水道の耐震構造はどうなっているのでしょうか。庁舎並みの耐震強化工事が必要ではありませんか。

⑤  諏訪圏域河川整備計画について

 先日(昨年12月)河川整備計画改変についての公述会が開かれましたが、そのご河川整備計画はどのようになりましたか、お伺いいたします。
(以 上)

2010年4月13日火曜日

百姓学(三十)        清水 馨

取り戻そう生物多様性
■国際生物多様性年
 今年は国連が定めた国際生物多様性年です。生物多様性の保全の取り組みを強めようと、今年10月には第10回締約国会議(COP10)が名古屋市で開催されます。森林の問題に大きな関わりのあるこの問題について考えて見ました。
■生物多様性とは
 よく分かっているようで、よく分からない言葉です。「様々な種類の生物が個体数も含めて数多く生息する」と言い換えればよいのでしょうか。専門家はこのような地域を「ホットスポット」と呼び、世界で34ヶ所を指定しています。「様々な種類の…多様さ」とはいっても、一般的には「絶滅に瀕した貴重種や固有種が多い地域の保全」平たく言えば「珍しい生き物がいっぱいいるところ」と認識している人が大部分ではないかと思います。世界の「ホットスポット」(下表)を見れば、誰しもそんな感じを受けて当然です。

〇熱帯アンデス 〇トゥンベス・チョコ・マグダレナ 〇アトランティック・フォレスト 〇セラード 〇バルディビア森林 〇中央アフリカ カリブ海諸島 〇カリフォルニア植物相地域 〇マドレア高木森林 〇ギニア森林 〇ケープ植物相地域 〇カルー多肉植物地域 〇マダカスカル・インド洋 〇東アフリカ沿岸林 〇東アフリカ山岳地帯 〇マピュタランド・ポンダランド・オーバニ(アフリカ南東部沿岸) 〇アフリカの角 〇地中海沿岸 〇コーカサス 〇インド西ガーツ・スリランカ 〇中国南西山岳地帯 〇スンダランド 〇ウォーレシア 〇フィリピン 〇ヒマラヤ 〇インド・ビルマ(インドシナ半島) 〇イラン・アナトリア高原 〇中央アジア山岳地帯 〇日本 〇オーストラリア南西部 〇ニューカレドニア 〇ポリネシア・ミクロネシア 〇東メラネシア諸島(コンサベーション・インターナショナルのデータより)

 そんなふうに取られている限り、日常から見れば「はるか遠い世界の話」になってしまいます。珍しい生き物の話が前面に出る前に、世界のホットスポットが地球規模の生態系や気候に対して果たしている役割の重要性がもっと広く伝えられなければならないと思います。そうでなければ、生物多様性の話は、一部の学者や自然保護マニアのもので終わってしまうのではないでしょうか。

2010年4月6日火曜日

環境論 ⅩⅩⅩⅩⅩⅤ 伊藤 貞彦

                 
特論:神の森 ――民俗文化として――

この国の人々の生活環境において、神の森とは何であったかという問いは、民俗学と歴史学を結合しようと考えている人たちにとっては、大きな問いのひとつである。
環境問題を担ってきた環境運動が、こうした問いを掲げたことは、運動が現在の生活的現実だけでなく、そうした生活的現実を基底的に支える歴史性を問うものとして、大変素晴らしいことであると思う。神の森の問題について、いささかの卑見を述べてみたいと考える。

(一)
現在の行政区である市町村に生活区が区画される以前、わたしたちの多くは(城下町、門前町、港湾商業都市を除く)自然村落共同体としての「ムラ」(現行政区の村と区別するためムラとする)に属して生活していた。
ムラには、氏神や諸神が祀られていて、季節と人生上・生活上の節目や問題にあわせて、ムラ人の祈念の対象とされてきた。
例えば、子供の誕生、宮参り、七五三の祝い、成人祝い、村の新年や農耕始めの祈り、収穫祝いなどには氏神が選ばれ、縁結びや厄落としには氏神や道祖神、農耕全般や商売についてはお稲荷さん、疫病には津島神社、火災には秋葉神社、盗賊除けには三峰神社、養蚕の成功には蚕(こ)玉(だま)さま、山の安全や狩の成功には山の神、水害除けや水利の安全には水神さま、疱瘡の防御には疱瘡神、魔物除けにはお不動さま、学問の成就には天神さま、土地の守りには石神さん、馬の健康や慰霊には馬頭観音などが選ばれて祭りがなされたり、祈念されたりしてきた。その他、ムラ内の氏ごとには祝神が祀られ、氏の安全や発展が祈られてきている。
ムラの人たちは、こうした神々の祭礼や、神々に感謝する講を決められた日に催すことで、それを生活の季節的・時間的区切りとして、生活の年間カレンダーとして自らの生活を律してきたといえる。
また、こうした様々の集まりを通して、ムラ内の問題も話し合われ、問題が共有され、ムラ寄り合いの議題とされることで、ムラの自治を支えてもきたのである。その意味では、今の路傍に忘れられたように扱われている神々は、それぞれかつてのムラを生きた生活者の生活的向上を支える足場であったといえるであろう。

(二)
ところで、こうした神々は、いつ、どのような理由でムラに入ってきたのであろうか。
最も古いものとしては、原始のムラにおける自然信仰がある。すなわち、太陽、水、山野の恵みといった自然の幸や自然のもたらす災いの背後に神の意思を見、それのより代(しろ)と考えられる巨木、奇岩、太陽、日の出や日の入りの海などを祀り、これらに祈ったものである。
次に、中央で国家が定めた神仏に対する信仰を、地方の首長らが祀り、それが広まったというものがある。その次には、中央の神仏が、中央権力の混乱や交代に伴う財政的困窮から、諸国にお札配布による資金集めのために放った御師(おし)の広めた現世(げんせい)利益(りやく)(中央神仏の俗化)がある(平安末~鎌倉期)。
鎌倉時代の古代から中世への転換期になると、中央の神仏からこぼれ落ちた捨(すて)聖(ひじり)、念仏上人、修験道の行者らによる、現世利益、まじない、邪気祓い、迷信による民間信仰が多様に展開し、江戸時代にまで連なっている。
その結果、ムラの中には、先にあげた神々のほか、弘法大師信仰によるお大師様、大日如来、阿弥陀如来、地蔵菩薩、弁財天などのお堂や、八幡、熊野、富士、白山、御岳等の神社が祀られ、営まれたのであった。それらのほとんどは、何らかの意味で現世利益に応えようとするものといってよい。それだけ、ムラの生活は、今と同じように、個人においてみると不安で、貧しく、あるいは幾分か人に言えぬ苦しさを負ったものであり、神仏に幸せを祈って何とか日々の平安を得るものであったということができよう。

(三)
ところで、こうしたムラの神仏で、ムラ人の共同信仰に支えられていた神社や寺は、その背後に森を持っている。
寺が森を負うのは、密教が山岳信仰と結びついたためであるともいえるが、日本の古来の神が森とともにあるという意味は重要である。なぜ、神は森とともにあるのであろうか。
原始の生活者の生活は、山か海で展開されていた。そうした生活者の神(自然の力とでもいっ方が正確だが…)は、山の神と、海の神であった。海の神も、神が訪れ現れる場所は、果てしなく広がる海原ではなく、海辺に近い海中の小島の森か、海岸の森とされている。
さて、森とは、昼暗きところである。特に谷間の森、日陰の森はそうであり、こうした森に入ると夏でも冷えびえする。こうした暗さを示す古語の「クラ」とは、同時に大事な処、大切で神聖な処を表現する言葉である。そのために、そこから派生した言葉として今に伝わるものに「胸ぐら」とか「股ぐら」といった言葉があり、大切なものを貯蔵しておく処として「蔵」という言葉がある。
つまり、昼なお暗い森とは、神々しいものが訪れ、現れる処、森厳で恐れ多き処であったといえる。それゆえに、神を拝する神社・仏閣は、森を負わねばならなかったのである。
また、別の側面もある。原始の人々の生活が、縄文から弥生へ、狩猟・採取文化から稲作・畑作文化へと展開すると、かつての生活の場である山と、新しい生活の場である平地の中間にある山麓の森は、死者の行く祖霊の山、あるいは水の恵みをもたらす水神の宿る山への入り口の森となり、ムラ人の生活を生産的にも安定的にも守ってくれる神の訪れ現れる処となったのである。
水源の山には水神(龍)を閉じ込めてあるという伝承によって龍蓋寺を祀り、山麓には龍尾寺を祀っているところがある。神の山と里の間を往き来する狐は、山の神や水神の使いとみて、つまり稲成り神の使いとみて祀ったりもしている。山宮と里宮の名残りは、秋宮(山宮)春宮(里宮)にも残っている。
ともあれ、神には森がつきものであったため、こうした森は神聖視され、禁足地として大切に守られ、その結果、現在のような乱開発の中にあっても、この国の地域的な自然生態系を生きた博物館として保存しているところが多いのである。

こうした神の森に破壊の鉈(なた)をふるったのは明治政府であった。明治維新によって成立した明治政府は、王政復古を宣言し、廃仏毀釈・神仏分離令を発し、ムラの素朴な民間神信仰の破壊に着手した。明治4年には戸籍法制定に伴って寺請制度(宗門帖に発する檀家帖)廃止が発表され、同年7月には氏子制度が定められた。つまり、国民はどこかの神社の氏子とされたわけである。そして、明治40年には、ムラに残る小さな神々を廃止または中心的神社に統合する神社合祀が全国一斉に指令され、ムラの神々や、国の承認した神以外の民間の神々は、国家権力によって強権的に押しつぶされていったのであった。
この暴挙に対して、独学で博物学を学び大英博物館の研究員となり、帰国して熊野で粘菌研究と民俗学研究に取り組んでいた南方熊楠(みなかたくまぐす)は、民間の神々と神の森破壊の愚策を徹底的に批判している。
いま、神の森を再発見し、これを守ることは、近代化によって破壊されたムラ生活の内にあったであろう、人間生活の文化の普遍的意味のいくつかを見出すことにつながると思われる。地域の自然の再生への足がかりを得るであろうことはいうまでもない。

環境論  ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅧ    伊藤 貞彦

                
特論:物質循環をめぐって(1)

「石油は限りある資源だね」
「うん」
「じゃ、水は?」
「水は無限じゃないの?」
「残念でした、有限です」
「だって、大昔からいくら使ってもなくならないよ」
「それは、廻りまわっているから」
(一)
本年10月に開催の迫っている生物多様性についての締約国会議COP10について、条約事務局の世界目標案がまとめられ、3月17日に発表された。
それによると、「自然と調和した暮らし」を究極目標として、2050年を目標に、「生物多様性を保全・再生し、継続的に利用する」ことの実現をめざすとしている。そして、そのための保護区の面積拡大等の施策を、20年までの目標としており、COP10では、この施策の策定が中心課題となるであろうとのべている。この施策の内容としては、陸域・海域の15%以上を保護区とすること、劣化した森林を15%回復させること、生物多様性の保全への資金や人的資源の活用を10倍に増やすことなど、およそ20項目ほどが掲げられているのである。
ここで、陸域・海域の保護とか、森林の回復とか、森林の回復とか、生物多様性の保全といわれていることは、ひっくるめれば荒廃にさらされている陸・海・森林等の生態系の回復・保全を図るということであろう。しかし、これまでもこうした課題は検討されはしたが、そうした生態系を多く抱える途上国が、開発制限への警戒から反対を唱えているため、合意に至ったことはなかった。
途上国の反対論は、勿論生態系への無理解によるものではない。大体そうした地域を荒廃に追い込んだのは先進国の資源開発資本であり、それを途上国がようやく自力で開発し得るようになった途端に今度は保護だというわけである。これでは、途上国が反対を主張するのも当然であろう。この問題をどう突破するのかが、会議の議題であるはずである。そのことに触れない事務局案など、無意味なものにすぎないといえよう。
ところで、では、生態系とは何であろうか。生物は、他の生物や無機的環境との間で、エネルギーや物質をやり取りしつつ複雑な関係を結んでいる。こうした関係の総体のあるまとまりを生態系という。だから、森や海や砂漠や湿地にもそれぞれの生態系があるが、地球もまた生態系としてとらえられるものである。この生態系においては、物質はぐるぐる廻っており、まわっていることで系(関係の束)を支えているといえる。そのことを、考えてみたい。

(ニ)
この世に存在している物は、鴨長明ではないが、消えたり生まれたり形をかえたりしてぐるぐる廻っている。そのように、事物がぐるぐる廻っているという考えは、人類の世界意識の最古層にある考え方と思える。だが、こうした考え方は、決して荒唐無稽のものではない。日の出、日の入り、月の満ち欠け、草木の四季の変化、星や潮汐、風や河川の流れの動きを見ることで、自然世界についてこうした考えをもつことは極めて自然であるからだ。事実こうした考えは、エジプトやバビロニアにおいては暦を生んだし、アフリカやアマゾンの狩猟採集生活を営む人々や、アメリカ大陸のネイティブアメリカンや日本のアイヌの人たちの伝承の中にいくらでもみてとることができる。人類が、原初の生活体系として狩猟・採集の段階を経て農耕・牧畜に至る文化段階を歩んだとすれば、こうした世界認識は原初のものとして、人類に普遍であるといえる。
然るに、西欧では、こうした考え方はかなり早い段階で、未開の思考としてきりすてられていったと思われる。例えば、西欧文化の古典とされているギリシャにおいては、世界に存在している事物の、不断の変化を起こさせている原理が何であるかが問われていく。そこから、ヘラクレイトスの火とか、タレスの水とか、デモクリトスの原子(モナド)とか、プラトンのイデアとかが抽出されてきた。こうした展開を受けて、アリストテレスは、イデアは事物の現象を離れてあるものではなく、事物の現象の内にこそ起動因としてのイデアを追求しなければならないとした。このように事物の現象の内に起動因(法則)をみようとしたことで、アリストテレスは近代科学への途を開いたとされるが、そうした意味で彼が発見されるのは、万物の運行は神によるとしてきた中世的思想が否定されるルネッサンス以降のことである。
事物の存在理由をその現象の内に問うという視座の転換によって、ガリレオの実験や、ニュートンの力学(地上の運動と天上の運動を質料という共通性で結びつけた)といった大きな業績が生まれたことは周知のとおりである。
しかし、ルネッサンス以降のこうした考え方に大きな根拠を与えたのはデカルトであった。デカルトは、神によらない事物世界の説明原理を求めて、全てを疑い、その果てに自分の経験と、その経験について考えている自らの観念の存在は疑い得ないとした。つまり彼は、経験でとらえられる現象と、それを理解しようとする認識だけを出発点にすべきだとしたのである。
そこで彼は、いきなり現象の全体はつかめぬ以上、複雑な現象を要素に分解(分析)し、要素と要素を結ぶ関係(法則)をつかむべきことを提唱した。こうした方法論によって、物質―原子―原子核―核子(陽子・電子)―クォーク といった物質の階層とか、生命体―個体―細胞―タンパク質―アミノ酸―DNA といった生物の階層の把握がなされていったのであった。まさに、西欧近代科学のめざましい展開といってよい。

(三)
原始の人々が直感的につかんでいた、この世界を形づくっている物質のぐるぐる廻りの問題を、それこそ世界の実相であると捉え、哲学化したのはインドであった。
インド哲学はウパニシアド哲学といわれるものであるが、今日もヒンドウ教としてインドの宗教的、政治的思想の根幹を支える理念的基盤となっている。
その考え方は、紀元前2,000年頃に生まれ、前500年頃に哲学的に整備されたといわれている。その教理は経典としてのブラーナ、スートラや、叙事詩としてのラーマーヤナ、マハーバラタなどにまとめられているが、大まかにいえば自然信仰の多神教と言ってよい。古代日本の山の神、川の神、海の神、木の神などの並存を認めるアニミズムである。
このヒンドウ教の世界原理となっているのが、世界=物質(神でもある)のぐるぐる廻りであるとする輪廻(サンサーラ)思想である。その様相を略述すると、次のようになる。人が死ぬと火葬する。すると虚空へ昇天し日の中に入る。そして風となり、煙となり、霧となり、雲となり、雨となる。雨は草木や穀物に入り、それを食した人間の精子となる。そして、再び人間として生まれるというのである。こうして世界は、この無限循環より成っているとする。こうした世界把握を前提にして、ここにこの世の人間の行為に基づく業(カルマ)による因果応報という思想がからめられ、カースト制を結果したりしたのであるが、それはここでは問わない。問題はこの輪廻という考え方のほうである。この考え方は、仏教の中にも根本思想として取り入れられることで、新たな展開をみせることとなる。(つづく)

気になるカラマツの異変     清水馨

 しばらく前から、周りに広がるカラマツ林の姿に異常を感じています。間伐が進んでいるとはいえ、まだまだ広い範囲で「ソウメン立ち」の姿をとどめているカラマツ林。その林をよく見ると、その中に枝いっぱいに実をつけた木が目立ってきました。最初に気づいたのが今から数年前になるので、現在のカラマツの推定樹齢が平均して45年~50年として、40年生あたりから実をつけるようになったのではないかと思われます。天然カラマツの生態からすれば、これは異常に早い開花です。天然のカラマツ(略して「テンカラ」と呼びますが)その開花、着実樹齢は推定で100年以上といわれているので、それが40年生ではちょっと若すぎるんじゃないか、ということです。一般に花を咲かせ種をつけるのは、ある樹齢に達し(十分な発育によって生殖器官を充実させ)たのち、充実した遺伝子を継承した種子を実らせ子孫を残していく、ということになるわけですが、これとは逆にその樹木に何らかの異変が起き、枯死するかもしれないという緊急事態に直面したときも樹木は花をつけ、種子をつけます。「弱ったときにも花をつける」といわれる現象です。今見るカラマツの結実は、これに当たるような気がします。
 植林されたカラマツは、湿潤で栄養豊かな土地と温暖な気候(カラマツにとって)という条件の下で育っているのに比べ、テンカラの場合は、生育地が標高1800メートル以上と、風も強い寒冷地で、なお砂礫地や岩稜地帯で栄養分の少ない乾燥地という、生育条件の非常に厳しい所です。一般常識からいえば、良好な生育条件の下で育った樹木のほうが健康でのびのび育つように考えられますが、それはあくまで人間の浅知恵、カラマツにとってみれば、寒く厳しいところが最適な環境であって、「湿っぽくてドロドロした土と、ぬるま湯のような気候なんて、とてもじゃないが生きていけん」といっているに相違ありません。
 標高1200メートル、高冷地に暮らす私なんかも、もし仮にインドネシアの密林に放り込まれたら、同じように文句を言うでしょう。その樹木や草花にとっての最適な生育条件は、その地域の生態系の中で与えられた任務と相関関係にあります。カラマツやトドマツ、ハイマツなどの樹木、コマクサなど草花は、高山や寒帯の緑化を任務としている植物です。その仕事を完遂するために、そこの環境に順応した体や機能を備えています。ですから人間が考える温暖で、穏やかな気候は最適な条件どころか、最悪の条件なのです。カラマツが若くして実をつけるという現象を私たちは異常と捉え、もっと注意深く観察していかなければならないんじゃないかと思います。
 カラマツの生態については、日本の樹木の中でも最も知られていない種のひとつです。かつて日本で最も早く植林したカラマツを皆伐して、ここに再びカラマツを植林したときの報告があります。再植林したカラマツが全く育たなかったというものですが、その原因はまだ完全にはわかっていません。馬鹿の一つ覚えのように、ただひたすら間伐をしていけばカラマツ林は豊かな森になっていく、なんて言っていると、あるとき突然その森全体が枯れ木の山、なんてことがあるかもしれません。

コンクリートなき河川構想の提言

 2009年4月27日
長野県建設部長                          
入江靖 様
                                環境会議・諏訪
                                会長 塩原 俊

河川管理に関する考え方を根本的に転換してください
――コンクリートなき河川構想の提言――

このほど九州地方整備局筑後川河川事務所長より長野県建設部長に出向されましたことを、心から歓迎申し上げます。
1997年河川法か改正され、治水・利水に加えて「環境保全」という考えが導入されましたが、それ以後、国土交通省は実際の河川管理に際し、各県に対して環境保全の具体的な指導をなさってこられたのでしょうか。
長野県ではこの12年間河川管理上の具体的変化は全くみられませんが、これをどのようにお考えでしょうか。(別添の写真は7年かかってこのほど完成した岡谷市・下諏訪町の十四瀬川です。この改修工事に、どのような環境保全の考えが見られるでしょうか)
私たちは、温暖化防止など地球規模での自然保護の必要性が叫ばれている現在、わが国においても河川に関する考え方を根本的に転換すべきときにきていると認識し、下記のような提言を行いたいと思います。


1、大小各種の河川からできるだけコンクリートを排除(もしくは最低でも土壌被覆)し、生態系(魚や昆虫)の復活をはかってください。諏訪湖に天然のアユやウナギを戻すような施策を実施していただきたいと思います。
2、河川はできるだけ自然蛇行させることによって、瀬や淵を復活させ、河相を豊かにする方法を考案してください(帯工は河相を単純化し、生態系に有害です)。
3、河川には各種の植物を多植し流水をゆっくり流下させるようにすれば、下流の水位がそれだけ低下します。
4、高橋裕氏が言われているように、「河川にもっと自由を」与え、川幅を広げたり、各所に遊水地を設置することが必要でしょう。
5、今までは河川を道路と同じように管理してきたのではないでしょうか。むしろ河川は森林の一部とみなして管理する必要があるのではないでしょうか。
6、上記のような河川管理上の工法を「河川の森林化」と呼びたいと私たちは考えています。
以前にも旧建設省内には(故関正和氏が提唱したような)「多自然型川づくり」という考えがあったはずですが、この考えは現在どうなったのでしょうか。今後新建設部長としてどのようなお考え(哲学)をもって河川管理に臨まれるおつもりか、お聞かせください。 (以 上)

広域ゴミ処理から廃棄物資源管理へ   佐原香

 去る3月13日岡谷市の下浜区民センターで「広域ゴミ処理と環境汚染~岡谷市は広域ゴミ処理を引き受けるのか~」と題する講演会を行った。講師は民間シンクタンクの環境総合研究所副所長の池田こみち先生。
主催は「ごみ処理を考える会」。3年前から「ごみ溶融炉を考える会」として活動してきたが、各地の溶融炉のトラブル(高額な建設費・維持管理費、事故等)と、諏訪南での導入計画中止を見れば、湖周(岡谷市・諏訪市・下諏訪町)でも溶融炉導入は多分無いだろうとの見込みから、この講演会を期に会の名称を変更した。
 先生は岡谷・下諏訪へ来てくださるのはこれで3回目で、この地域の問題に詳しい。先生は「地域によってゴミの質や量が違うので、広域でゴミ処理するのは問題だ。どこかに不公平が出るはずで、統一的にやるのは難しい」と。実際、諏訪市は人口51,000人だが、焼却ゴミ量は年間18,000t(平成20年度)。そのうち事業系ゴミが4割を占めている。ホテル・旅館・事業所などが多いせいだ。一方、岡谷市は人口53,000人でゴミ量は14,000t、そのうち事業系ゴミは2割だ。
 岡谷市の焼却ゴミの中身を調べると、紙布類が40%を占め、廃プラ類が20%、生ゴミなど有機物が32%で、全体の9割は分別資源化が可能だ。ところが、平成27年度までの岡谷市の減量目標は32%、諏訪市・下諏訪町は30%で、目標がお粗末だと。
 横浜市で中田市長の時、ゴミ減量30%の目標を目標年度より早く達成して、次に35%、今は41%を目標に推進している。その結果、焼却炉7基のうち2基を廃止できたとのこと。
 ゴミを燃やして発生する有害物質の除去に施設の半分と、多量の薬剤が使われるが、それでも煙突と灰に排出され、埋立処分場は管理型であっても汚染物質を完全に封じ込めるのは不可能だと。焼却し続ければゴミ量の10%の焼却灰はついて回る。この負のサイクルから抜け出すには、ゴミを燃えるか(燃やせるか)否かでなく、資源化できるか否かで分けるべきだ。廃棄物の資源管理政策を考えることにお金と時間を使うべきだ。先生はよその豊富な実例と、岡谷市の分析資料をプロジェクターで映しながら説明してくださった。最後の質疑応答でも時間が足りないくらい活発な意見が出された。

       広域のメリットは岡谷のデメリット
 岡谷市の3月議会で青木福祉環境部長は、広域処理のメリットを3つ上げた。しかし、その中身を検討すると、岡谷にとってメリットにならないと私には思われる。すなわち、
1.(部長)煙突を少なくすることでダイオキシン総量を減らすことができる。
  (反論)今まで3箇所に分散していたものを岡谷1箇所に集中させるので、岡谷にとっては大変なデメリットだ。またダイオキシン総量の減少は以下の2点による成果であって、広域化によるメリットではない。
 イ.30%のゴミ減量によってもたらされる成果。
 ロ.いま毎日、点火と消火を繰り返しているのを、24時間連続運転に変えればダイオキシンが生成されやすい低温域(200~300度)にならないことによる成果。これは今の炉でも運転方法を変えればできることで、広域のメリットとは違う。
 ハ.有害物質はダイオキシンばかりでなく、多種多様の化学物質や重金属が煙突や灰に排出される。今の岡谷の日量80t炉が広域なら120t炉へと1.5倍になり、焼却ゴミ量は岡谷の年間14,000tが広域なら30,000tへと2倍以上に増加する予想だ。岡谷市民はそれを浴びることを容認できるのか、市は市民にそれを甘受せよというのか。
2.(部長)交付金が受けられる。
  (反論)国の交付金支給条件がどんどん下げられて来て、大きい炉でないとダメという処理能力の条件も撤廃された。今は人口5万人以上なら単独自治体でも交付金が出るので、岡谷市も諏訪市もそれぞれ交付金をもらって別々に建てられる。よって、これも広域のメリットではなくなった。
3.(部長)運営の効率化ができる。
  (反論)1箇所でやれば運営はある面で効率的かもしれない。しかし、別のデメリットも考える必要がある。たとえば、
 イ.交通量と排ガスの増加。いま岡谷では業務委託で6台のパッカー車が1日に3~4回焼却場との間を往復している。延べ1日に18~24台である。これに諏訪市と下諏訪町からの車両が加わると交通量は3倍くらいになるし、排ガスも増加して、岡谷にとってデメリット。
 ロ.岡谷1箇所にすると、諏訪市・下諏訪町の車両は今より長距離運転となり燃料消費が増えCO2も増え環境にデメリット。国もその点からも広域のデメリットを認めて交付金の条件を緩和してきているとも言える。
 ハ.住民のゴミ減量意識の温度差。よそで処理してくれるとなると、やはり減量に安易になりがちで、温度差を感じる。
 岡谷市では今年4月から容器包装の廃プラスチックを資源として分別回収し始める。灰や煙突からの有害物質は今より減少すると予想され良いことだ。紙や生ゴミの分別資源化をさらに徹底すれば、焼却ゴミを激減させられるはずだ。
 日本ではゴミの焼却が常識のようになっているが、世界の潮流は違う。目標と政策をもって頑張ればかなりのことが可能であることを各地の実例が示している。大規模施設建設の借金サイクルに陥るか否か、今後20年以上も有害物質排出の固定施設を我慢するのか、最終処分場新設の必要に迫られるのか、あるいは焼却灰をよその埋立地に高額で委託するのか、などの分かれ目に立っている。いま脱焼却・脱埋立を目指して方向転換するべき時だと思う。

2010年4月5日月曜日

森と林は同じではない

 今の人は「森林」と一言にいいますが、昔の人は『森(もり)』と『林(はやし)』を区別していたのではないでしょうか。林という文字はかなり早い時期(多分遣唐使の時代)に中国から入ってきたようですが、日本人は林と森を区別して、林という文字とは別に森という文字を造ったのだと思います。
 つまり、林という文字は中国の古い植林の技術と共に入ってきて、生やす場所(植林の場所)という意味に解釈され、それとは別に日本にたくさんあった「天然の樹林」を表す文字として、「森」という文字が造り出されたとわたしは解釈しています。
 林は植林した場所(もしくは植林の苗木を育てた場所)で、その文字の形が示しているように、若い樹木が行儀よく並んでいる姿を表すのに比し、森はその林のうえにもう一つ大きな樹木がそびえている形(天然樹林)を現しています。
 森とは日本に古くからあった「天然樹林」で、林とは植林した場所、もしくは植林の為に苗木を育てた畑を意味したのです。

 明治以来、日本の森はことごとく伐採され、針葉樹が植林されてきました。現在、間伐が問題になっている「日本の森」といわれているものの多くは、実は「もり」ではなく「はやし」に過ぎないのです。「はやし」を「もり」に変えていくことがいま必要なのではないでしょうか。

霧ヶ峰自然環境保全協議会      飯田隆夫

 一昨年発足した霧ヶ峰自然環境保全協議会が3月3日に開催された。今回で11回目のなるが、長い討論の結論は現状肯定という結論になりつつある。この協議会が本当に必要なのかと、いつも思うが諸々の問題を討議したことはそれなりに意義があったと思われる。この際、環境会議・諏訪の霧が峰に対しての見解を述べておく。
 1)昭和30年代のような採草が行われなくなった以上、森林化は阻止できない。ただ現状のままに放置してもすべてが森林化するわけではない。また湿原の乾燥化等の自然の遷移を容認すべきである。人為的に水位をあげるようなことはすべきではない。
 2)むしろ場違いなドイツトウヒ等の人工林こそ縮小、整備すべきである。
 3)これ以上の人工物すなわち道路の拡張、駐車場およびリゾート施設の設置に反対する。すでに設置されたものは認めるしかない。
 4)森林化の利点も考慮すべきである。水害防止、水源涵養、野生動物の生息域の確保等。雑木処理、火入れは観光資源の維持という見地から否定はしないがそのようなことをしても森林化の大勢を阻止することできない。仮に行っても10年もすれば元に戻る。
 簡単にいえば今の霧ヶ峰の姿を基本的に肯定するということである。
 今回の主な議題は林野庁からシカ対策としてすでに南アルプスで行われている防御柵設置の補助金800万円が交付されることになり、それを協議会で承認を求めることである。仮にここで少年が得られなければ来年以降の補助がなくなるとの前提であった。この補助金は資材だけの費用で工事費は含まれていない。計画の概要は高さ2.5メートルの柵を八島湿原遊歩道の外側を約4Km囲むことを予定している。問題点として数メートルごとに千本以上の杭を打ち込むことによりそれが環境に対し問題がないのかということと、景観上から納得してもらえるかということである。もしこれが設置されたら遊歩道を歩くと湿原側には既存の柵があり、外側には高さ2.5メートルのネットが延々と続くことになる。私見としては賛成できない。シカが湿原に入ることにより森林化を防ぐということも事実であり、食害により枯れたミズナラもかなりある。シカを締め出すことにより森林化が促進されろことも考えられる。他の団体からも疑問点が多数出たが、国から補助金がでるならもらっておくべきだと、牧野組合が積極的なため設置されることになった。恒久的施設でないため特に強い反対もなく

2010年4月4日日曜日

諏訪湖治水計画の誤算  その2

 その際忘れてならないことに、水面の高さの管理方法の問題があります。『諏訪湖治水』では諏訪湖の水面は全面が平均して上昇したり下降したりするものとの前提に立っています。しかし実際は下流の釜口水門での「水位」と上流の諏訪市側での「水位」とでは差が出るということです。これをローリング現象というそうです。河川は上流が下流よりも水位が高いことは常識ですが、湖も河川の一部ですから、上流と下流とでは水位が違っても当然でしょう。ですから、釜口水門で計られた「水位」と諏訪市側の「水位」とでは差があるということです。このことを忘れて水位が釜口水門側だけで管理されているとしたら、氾濫を防止することはできないでしょう。
 それでは現在の状態下で、大雨のときに諏訪湖の氾濫を防ぐことはできないのでしょうか。釜口水門の放流量を増やすと、下流の天竜川が氾濫する、だから、どちらかで危険を負担するよりしょうがない、と今までは説明されていたようです。しかし無責任に諏訪湖を埋め立てて貯水量を減少させ、その分氾濫したからと言って「自業自得だ」というのではあまりに無分別です。しかし、よく考えてみるとこの「論争」は諏訪湖の水位が上がってからの対応に関する論争だということです。水位を上げない方法があれば「論争」は決着するはずです。
 「予備放流」という考えがあります。予備放流というのは、大雨警報や洪水警報が発令されるような気象状況になったとき、あらかじめ釜口水門を操作して、諏訪湖の水位を下げておく方法です。そうすれば、大雨が来た時点であわてずに対応できるはずです。
 このような考えを私たちは機会あるごとに諏訪建設事務所長に申し上げていますが、「諏訪湖治水」に基づく釜口水門の操作規則に反するという理由で全く無視され続けています。
 でも今回のように『諏訪湖治水計画』に大きな誤算があることが明らかになった以上、被災市民の一人としてあらためて提案させていただきたいと思います。関係各位のご検討を切に願うものです。(S)

諏訪湖治水計画の誤算  その1

 2006年7月18日から20日にかけて、諏訪市湖岸通りを中心に広範囲にわたって諏訪湖が氾濫しました。昭和58年に同じような災害がありましたが、その災害後、104億円をかけて釜口水門を新築し、あらたに『諏訪湖治水計画』が立てられたにもかかわらず、なぜ諏訪湖が氾濫したのでしょうか。これには、『諏訪湖治水計画』の基本的な部分に「誤算」があったのではないかと考えられます。
 100年に一度の大洪水があった場合、諏訪湖は秒単位で最大1600トンの流入量になると算定し、その時の湖面の最高水位(計画高水位といいます)を、基準水位(ふだんの水位)から2.2mの高さに設定しました。つまりこの計算では、諏訪湖の水位が2.2mの高さになるまでは氾濫はないという前提に立っていることになります。ところが今回実際に氾濫が発生したのは18日夕刻で、そのときはまだ諏訪湖の水位は1.7~1.8m位しか上昇していませんでした(入流量は秒単位で800トン未満)。つまり最高水位(計画高水位)よりも50cmも低い時点で氾濫が始まったのです。ですから湖面の水位が最高水位に達したときには、70~80cmも氾濫していたのでした。計画高水位が生活者レベル(実際に人が生活しているレベル)より高すぎたことになります。何か誤算があったのではないでしょうか。
 釜口水門操作規則に拠れば、湖面の水位が「計画高水位(2.2m)」に達するまで、水位を上げ続けるように操作することになっています。この方法は、下流の上伊那地区を洪水の被害から守るための、いわば「いたみわけ」だと県は説明しています。
 このように計画高水位を設定するという管理の仕方は、ダム湖に適用される管理方法です。ダム湖であれば、水を貯めることが目的ですから、計画高水位という考え方も納得できますが、諏訪湖のような自然湖であれば、貯めることが目的ではないはずです。ですからダム湖と同じ『思想』で管理されることには無理があります。「貯める」ことよりも「流す」ことに重点を置いた管理方法に転換すべきではないでしょうか。

川はなぜ蛇行するのか

 人工の川は直線化しているケースが多いのに、自然の川(例えばアマゾン)は蛇行している。日本にも釧路川のように蛇行している河川があるにはあるが、極めて稀である(多分唯一)。(以前信州大学の先生の講演を聴いたいたら、釧路川以外にも筑後川は蛇行しているが、蛇行したままコンクリートで固めてしまった、と言っておられた)。以前ヨーロッパに行ったとき、飛行機の窓からみたシベリアの川は無数に蛇行していた。「山の川は曲がっていない」とわたしの友人が言ったが、仔細に観察すると、山間地の河川も無数に曲がっており、凹凸が激しいことが分かる。「自然の川は蛇行している」という命題は、いわば定理みたいな普遍性を持っていることは確かである。
 ではなぜ、自然の河川は蛇行するのか。河川の水衝部(水と土壌との接触部分)には固いところと柔らかいところがあり、柔らかい部分が削られるから、その反動で屈曲する、と説明してくれた人がいた。これは物理学の考え方で、流体力学とか、水文学とかそういった「科学的」な思考からはそう結論づけられるのかもしれない。でもわたしにはそうは思えない。同じ固さの(例えば一枚の大きな板)の上方から平均して水を流すと、しばらく下ったところで、蛇行を始める、という実験をビデオで見たことがあった。
 わたしは生態系を生き物と見る。生態系はある意志(目的)を持って河川を蛇行させているのではないかと考える。それは河川を蛇行させれば、生態系にとって、或いはそこに生きている人類を含む様々な生き物にとって、よいこと(生態系の目的にかなったこと)があるからではないか。
 では、河川を蛇行させることによって約束される、生態系の目的に沿うよいこととは、なにか。
①河川は蛇行によって、水路が長くなり、下流の水位が低下する。
②蛇行によって勾配が緩和し、①の効果が更に促進される。
③流下速度が低下し、さらに水位の低下を招く。
④蛇行によって河川内に、淵・瀬・州などが形成され、生物多様化を実現する。
⑤蛇行によって、地下水涵養が促進され、植物の働きと共に、河川水の蒸発が促進される(これをせせらぎ効果と呼ぶ)。
以上のことから、私は次のように結論する。
河川が蛇行するのは、生態系が下流の洪水を防ぎ、生物が生活しやすい環境をつくるためだった、と。
このことを忘れた人類という動物が、生態系の意思に反して、河川をコンクリート化し、直線化した。これによって、生態系としての河川は死んで単なる排水路と化し、洪水が頻発するようになった。なんとおろかな発想でなないか。

2010年4月2日金曜日

花はなぜ美しい?

花の季節になりました。美しい花々が野山を飾りますが、いったい植物が花を咲かせるのはなぜでしょうか。花を咲かせるのは虫媒花で、昆虫に蜜を与えながら、花粉の媒介をお願いしている、という仕組みになっていて、その昆虫に花の存在を知らせるために開くのだ、と今まで解釈されてきました▼ある研究者が、それでは花びらを取ってしまったら昆虫は来なくなるか、と花びらを全部とって観察していましたら、なんとそれでも昆虫は少しも不自由なしに、飛んでくることが分かった、と新聞の科学欄に書いてありました。昆虫は蜜のかおりだけで十分に花の存在を認識してしまうらしいのです▼もともと昆虫は花の色など識別できないのだそうです。それでは、蜜のかおりによって植物が昆虫を誘惑する仕掛けは理解できますが、わざわざ、美しい花を用意する必要はないわけです。ではなぜ?▼子供が可愛いのはなぜでしょう。もし子供が可愛くなかったら、誰も子供の面倒を見ようとしないから子供は成長できないかもしれません。つまり子供が可愛いのは、保護を求めているからにほかなりません。同じようにご婦人が美しいのは、男性の関心を引くためではないでしょうか▼同じ「理論」を花に適用してみると…。花が美しいのは、人間に見てもらい、関心を持ってもらうためではないでしょうか。つまり、植物は人間に愛されたいからこそ、花を開くのです(もちろん、昆虫に花粉を媒介してもらいながらですが)。「花は見られことによって救われる」と言った人がいますが、まさにそのとおりで、花は人間に見られ、愛されてこそ、初期の目的を果たすのです。(S)

御射鹿池(みさかいけ)が全国ため池百選に(小林哲郎)

農林水産省は1月に全国のため池(農業用貯水池)百選を選定するため、全国287の池を候補として選定を進めてきました。推薦投票も参考にして去る3月25日に百選を決定しました。長野県からは26池が候補にあがり、この中には茅野市の御射鹿池もふくまれていました。環境会議・諏訪では皆さんのご協力を得て推薦投票を積極的に進めると共に、御射鹿池の歴史、景観、文化財としての意義、珍しい特性などを農林水産省の担当部局に文書で送るなどの活動を行ってきました。この甲斐あってこのほど百選に選ばれました。なお長野県では道府県別では最多の5箇所が選ばれています。
御射鹿池(茅野市) 塩田平溜池群(上田市) 菅大平温泉溜池(木祖村) 荒神山溜池(辰野町) 千人塚城ケ池(飯島町) 

2010年4月1日木曜日

百姓学(三十一)      清水馨

 遊びを通して
■魚のつかみ捕り 昨年の秋、この通信でも紹介された「三人委員会・哲学塾」、群馬県片品村で開かれた集まりでの論議の中で、「魚のつかみ捕り大会」の話が出ました。これはあちこちのPTAや青少年育成会などでごく普通に行われているんですが、三人委員会のお一人の大熊孝・新潟大学名誉教授(治水工学)が「あれはちょっとおかしいんじゃないか」と問題提起されました。小川や池での魚捕りはかつての子供たち(概ね小学生)のわくわくするような遊びの一つでしたが、囲い込んだビニールシートの中で、逃げ場のない魚を追い回すようなことはありませんでした。魚捕りの場所は、もっぱら自然に流れる小川や池に限られていたし、ましてや大人がすべて段取りをして、「さあどうぞ」なんて、お城の馬鹿殿様をあそばせるようなことは全くありませんでした。とにかくわたしもこの「つかみ捕り」には腹を立てている一人です。隠れるところも、逃げるところもない狭い場所に囲い込んだ魚を、よってたかって追い回して捕まえる。魚にとってみれば「卑怯者…」と、怒りをもって叫びたくなるような状況です。授業の中では「卑怯は振る舞いはよくないこと」と教えているはずなのに、実際には「弱いものは強いものの自由にしてよろしい」と教えているに等しい光景です。人同士の関係でも、はしっこい子もいれば、ちょっとのろい子もいる中で、はしっこいやつはたんと捕れ、それは自分のものだから自慢顔。捕れなかった子は半ベソ。これも許せない。こんなことが遊びをとおした教育の場で、無批判に行われているんです。
■自然の中の魚捕り その昔、といっても今から高々40年位遡ったころまでですが、魚捕りといえば「むら」のまわりの小川や小さな池が舞台です。大人は一切関わりません。関わらないどころか、その頃の農家は一年中忙しい。学校が休みの日には、「仕事手伝え」といわれるので、魚捕りにでかけるには、親の目を盗んでソット抜け出さなければなりません。大抵5~6年生が親分になって、その後を1年生、2年生たちがぞろぞろくっついていきます。川につくと多くの場合「川湛え(かわたたえ)」といって、二股になった川の一方に石を積み、すき間には付近の土手の土付きの芝をはいで押し込んで水止めとし、その川の流れをせき止めて川干しをします。しかしいくら丁寧にやっても健全には水をせき止められません。まだ少しの流れはそのまま。この作業の段取りや実際にせきとめ作業をするのは上級生。下級生はセッセコ、セッセコ石や芝を運ぶ役です。

ミシャクジ遺跡を緑のダムに

 いま、長野県諏訪市の大和(おわ)にコンクリート堰堤がつくられようとしています。このあたりは、有史前からのミシャクジ信仰のあったところで、周囲の自然の保護が叫ばれています。3月21日30名の市民が集まり、現地調査と講演会を催しました。この集会の中で最も多く出された疑問は、どうしてこの場所に砂防堰堤が必要なのかというものでした。今まで数百年はなのもなかった場所なのです。県はただ「将来危険だから」というばかりでなんの「根拠」も示しえませんでした。
 ミシャクジ(またはミシャグチ)信仰というのは、諏訪地方を中心に、長野県はもとより、全国に広がっていた縄文からの信仰で、諏訪の国が大和政権に滅ぼされるまで続いていたと信じられている「自然信仰」です。
 そのような場所を、簡単にコンクリートで覆ってしまっていいものでしょうか。長野県は田中康夫前知事によって、多くのダムが「中止」されましたが、村井知事になってからはまた復活されています。
 民主党の新政権も、大きなダムは再検討しているようですが、砂防ダムのような小さなものにまで関心が行き渡っていないようです。鳩山さんがコンクリートから人へと言っている現在、日本中を堰堤だらけにする計画は早く見直して欲しいものです。(S)

迷える国交相

 
国土交通省は3月26日、2010年度の公共事業予算の配分(箇所付け)を発表した。長野県関係では浅川ダムに事業費ベースで24億9千万円を計上。事実上満額を配分した。事業費のうち国補助は2分の1。前原国交相は同日の記者会見で、浅川など各県が3月までに本体工事契約を結んだ5ダム事業について、国による再検証の対象としない方針を表明。村井知事は「住民参加による議論を踏まえた県の最終判断を受け、予算を認めていただいた」とコメントを出した。(以上3月27日信毎記事)
これに先立ち前原国交相は9日の記者会見で「すでに21年度に予算を計上しているダムについては、(補助金を認めないと、補助金適正化法6条の)裁量権の逸脱となり負担義務違反を問われる心配がある」といっている。
住民派は弁護士を立て「補助金適正化法」は担当大臣の判断をしばるものではないと反論し、内山卓郎さんも「もともと不合理なダム計画の合理性が検証されずに、裁量権の逸脱も無いものだ」と批判している。つまり、前原国交相は官僚や県知事の圧力におびえ、すっかり迷ってしまったのである。
マニフェストが泣いている。   (S)